いつもお読みいただきありがとうございます。今回は、あるベトナムメディアに掲載されている記事について紹介し、ベトナムでのトラブルや紛争に対する雑感(基本的な心構え的なこと)を述べさせていただきます。
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メディア記事
- 銀行と個人顧客の間のクレジット訴訟について裁判所の判決が誤っている、というベトナム人弁護士の意見記事です。
- 「非常に簡単な理解なのにかかわらず」などの言い回しがあり、結論を直訳すると「これらを解決するためには、単に、関連する国家管理機関が裁判所に対して『(株式の)資本払込』『(株式の)売買』『(株式の)譲渡』の語句を正しく理解させ、法的性質と共に概念をしっかり理解させることが必要だ!」というもので、「びっくりマーク」がついています。すなわち、裁判所の判決が誤っているという表現で、その原因が裁判所の語句理解不足と、分析・評価しているようです。
- 記事で取り上げられている判決は、銀行と個人顧客との消費貸借契約が無効となった事件で、以下のような認識や経緯があったようです。
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- 銀行は個人顧客の証券取引のために貸付を行い、個人顧客はその借入金をもって証券取引を行い、その対象である株式は銀行への返済のために保全されていたが、最終的に資産は目減りし、銀行への返済ができなくなって訴訟に至った。
- 裁判所の見解として、金融機関が個人投資家に対して当該投資家が他社へ資本払込目的の資金を貸し出すことは、金融機関法に違反しているため、消費貸借契約自体が無効であるとした。
- 記事を書いた弁護士の意見としては、以下のようなことです。
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- 裁判所は証券取引を「売買」と捉えたが、証券取引は「売買」ではなく「譲渡」と呼ぶ必要がある。 ただ、財務省や国家証券委員会にかかる法文書では「購入や販売」という語句を誤って使用することがある。
- その結果、判決は誤っている。
- 裁判所は証券取引を「売買」と捉えたが、証券取引は「売買」ではなく「譲渡」と呼ぶ必要がある。 ただ、財務省や国家証券委員会にかかる法文書では「購入や販売」という語句を誤って使用することがある。
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メディア記事への感想
- 日本のように気軽に判例検索ができないベトナムにおいて、法曹の世界にいる方が、裁判所の判決に対してメディア上で批判的意見を述べることに違和感を感じました。記事を書いた弁護士の意見には一定の根拠が示され(本レターでは省きました)、現行法から導き出される各語句の概念を説明していましたが、一方的ではないかと感じました。
- 記事からわかる範囲では、争いの主旨は、直接金融、間接金融、資本制劣後ローンなどの部分だと感じたのですが、法律の未整備部分または不明確な部分と推測しました。金融機関は、債務者の出資目的資金の融資、証券市場における有価証券売買目的資金の融資、どちらも可能であるが、債務者の出資金(会社の資本金など)や有価証券を担保や抵当とするには制限がある、というような部分です(判決文は読んでいません)。
- いずれにしても、法律の未整備または不明確な部分に対して「立法の提案」をせずに、裁判所が法律や語句の理解を誤っているというのであれば、これは準備書面などを作成する代理人(弁護士)の役割ではないかと感じました。つまり、起案時の文章術、口頭弁論等における表現術の問題ではないかということです。
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ベトナムにおける訴訟
- ベトナムは、訴訟や仲裁が日本に比べて不便です。日本でも不完全だと思ってしまうケースはあると思います。詳細は割愛しますが、ベトナムでは、なおさらです。
- 訴訟の代理人は弁護士です。ベトナムでも日本同様に、年々、弁護士は増えています。同時に、訴訟経験のない弁護士、訴訟以外の業務を行いたいと考える弁護士も増えています。そして、あまり経験がないにかかわらず、若くして独立開業する人も多く、その中には、文章術や表現術に長けていない方もいますし、主観客観のバランスが取れない方もいることでしょう。
- つまり、日本でもそうですが、訴訟において望む結果を得たい場合には、依頼者側においても、弁護士が必要十分に理解・表現できるような伝え方をしなければなりません。
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本レターは、ベトナムにおける訴訟がいかに難しく厄介であるかということを言いたいものです。
もちろんベトナムは法治国家ですが、商事法務(ビジネス法務)の視点から見ると、まずは「話し合い解決(調停や示談解決)」を前提に法務を行っていく必要があります。筆者はいわゆる「人治」と(ざっくり)捉えていますが、これは今後10年レベルで変わらないのではと感じています。
ベトナム人は、良い意味でも悪い意味でも日本人に比べて主張が強いですが、見習いの法務人材や弁護士資格を持っていない法務担当者などで法律の自己解釈が強すぎて他の視点を無視してしまい、ルールやマナーを飛び越してしまう方も多く見受けます。こういった方ほど「タフネゴシエーター」なわけです。ここに向かっていくのが、「人治」ベトナムにおける(現実的な)法務だと考えています。